『 同窓生~人は、三度、恋をする~ 』 第5話 感想【ネタバレ注意】

☆同窓生 ~人は、三度、恋をする~☆   第5話

 



dousousei

あらすじは公式サイトをご覧ください。

 



=感 想 記 事=

 

このドラマは、現実離れしている…と、思いたい。
仕事は?家庭は?と、思ってしまう所が多すぎる。
子供が三人いる主婦が、しかも仕事を持っていて、家が仕事場と併設されていて、なのにいつでも外に出て、自由に過ごせるなんて考えられない。

 

 

仕事だけでも大変なはず、ましてや、まだまだ小さな子供がいる家庭の母親が、夜に従業員に子供の守りを頼んで出掛けるなんて、まずは出来ないと思う。
そりゃあ、どんな従業員でも腹が立つと思うし、子供にも、その雰囲気は感じ取られるはず。しかも、知らないとは言え夫の愛人に頼むなんて、気がつかないにも程が有る。
夜ごはんの準備をしてから、出掛ける…なんて、私には出来ないのですが…。
羨ましいと言うか、現実離れです。

 

 

原作を読んでいないから、何とも言い難いが、原作はあえて、このドラマ中は見たくないと思っている。先入観をもってしまい、面白みが無くなるから。
原作が、どのような主婦設定なのか、あるいは脚本の時点でそうなったのか…。
脚本・田淵久美子。ご自身も仕事を持ちながらの子育て経験者。忙しさは分かるはず。
やはり、これはドラマだから、ある程度は現実から離れて、視聴者の主婦に『夢』を見させてあげる為の内容なのか…と、理解していこうと思う。

 

 
遼介が入院している、遼介の実家である病院に見舞いに行く薫子。
ケガの原因を作ったと、責任を感じているかも知れないけれど、その病院に行って、家族に会わずにいられる方が不思議なはず。
だったら、堂々と妻の加奈子がいようと、娘がいようと、母がいようと姉がいようと、挨拶程度して、ちゃんと見舞いをしたら良いのに…と、あさはかな考えを持ってしまう。
しかし、それが出来ないと言う事はやましい気持がどこかにあるからだろう。

 

 

しかも、その病院は元彼までいる。
そんな場所には、私なら行くはずも無し。
どこかに期待感、うぬぼれ、願望等が、入り混じる気持ちが有るからこそ、その魔の巣窟へと足を踏み入れてしまうのだろう。

 

 

結果、元彼や、追いかけまわす不倫願望者の遼介から誘いを受けてしまう。
うれしいはずであろう。
薫子は、男性との関係が少ない事も有り、モテてしまう今の自分に浮かれているはず。
人生で、こんな事は一度も無かったのだろう。
困りながらも、今の状況が夢のように浮かれた出来事ばかりで、きっと趣味のお部屋探しも出来ていないのだろう。
長い人生、そんなモテ時期が有っても良いのかも知れない。
でも、同じ過ちは繰り返さない方が良いに決まっている。
遼介であろうと、青木であろうと、きっと痛い目に遭うはず。かわいそう。
こういうモテ時期、一生に一度な女性が増えて、そのために「結婚願望が薄い女性」や、「いつかはきっと!未来への期待願望強過ぎな女性」が増えてしまうのでしょう。
この役は、板谷由夏には似合わないような…。

 

 
健太の、ナヨナヨさ炸裂の今回。
自分の子供にまで、頼りなさげな父親を見せつける。
せっかく「お父さんに会いたい」と、言ってくれている息子なんだから、しっかりとした、頼りがいのある父親像を見せて上げるべき。

 

 

あけひに頼ってしまうのはおかしい。
あけひも、その場に登場するのはおかしい。
いくら、困っているだろうからと言っても、我が子達を連れていくなんて、勘の良い一郎は、おかしいと気づくはず。
ちゃんと両親が存在する家庭で、母親が、知らない男性のところに行って、そこにいくら同年代の子供がいるからと言ってもおかしいと感じるはず。
やはり、あけひの行動は自分勝手にしか映らない。
その自分の行動に満足気な所も気に食わない。
三人の子供達は、いくら父親が恐い存在だと思っていても、父親に申し訳ないな…一緒に遊びたかったな…と、思ってしまうはず。
もしかすると、それも思えないほどの父親からの虐待が有るのだろうか?

 

 
「地上最強の生き物、女は…」と、言う健太。
40歳にしてその言葉を発しているようじゃ、大した人生を送ってきていないと思う。
これから先も、しっかりとした人生を歩めるのか心配してしまう。
薫子と同じく、痛い目に遭う事、間違いなし。

 

 

まさに、女は地上最強の生き物に間違いない。
母ならばなおさら、宇宙最強になっている。だから、元妻の冴子は、離婚の原因が自分なはずなのに、上から目線であんなに大きな態度が取れるのでしょう。
あけひも同じく、母だから、自分の考えが一番!私が好きなんだから、貴方も私の事が好き!的な考えが出てくるのでしょう。

 

 
次回からの、展開で惑わされて行く人々を見ていくのが楽しみでもある。