大学の1対500人の授業ってどうなの?教育の原点、古代ギリシャの学者であるソクラテスに倣って考えてみよう。

まだ中学生や高校生の人にはイメージしづらいかもしれませんが、大学の授業とは大教室に何百人もの学生が詰め込まれ、ひとりの教員が延々と板書したりプロジェクターを用いて進めていくような、「一方通行的な」授業がとても多く、また基本的に出席数も求められるため苦痛に感じる学生は少なくありません。

 

しかし、そもそも教育とはこのような一方通行的なものではなく、教師と生徒での相互のやり取りによってなされるものだと多くの人は感じているはずです。

 

ここでは教育者の原点とも言える、ソクラテスの教育法にならって考えていきましょう。


 

じつは、いまの日本の大学で一般的に行われているような、一斉方式・一方通行の授業スタイルは、中世にイタリア・ボローニャ大学で発明されたものなのです。
 

本来的な知のあり方、勉強の仕方とは、サンデル教授がハーバード大学でやっているように、学問の場に集う人々がひとつのテーマについてとことん話し合い、議論を戦わせて、ゴールを探すというスタイルでした。
 

この対話式の授業を、別名「ソクラテス・メソッド」と呼びます。

 
哲学者のソクラテスが弟子との問答を通して「真理」の追及にあたった故事に由来する方法であり、いまから2400年前の古代ギリシャの時代から近代まで、それは王道の教育スタイルだったわけです。
 

そもそも、教育(educatioin)という言葉は、ラテン語で「引き出す」という意味のエデュカーレ(educere)が語源だといわれています。
 

つまり、上の立場の人間の考えを「押しつける」ことでも、正解を「詰め込む」ことでもなく、相手から思考力や洞察力、想像力を「引き出す」ことこそが、教育本来の姿なのです。
 

ソクラテス・メソッドは、まさに正統な教育のあり方だと言えるでしょう。
 

ちなみに、現在でもソクラテス・メソッドで授業を行っている代表的な教育機関として、ロースクールとビジネススクールがあります。

その2つの学校に通う学生たちが目指すところは、法律家と経営者です。
 

裁判にも経営にも「絶対の正解」はありません。だから、どちらの職業にとっても必要なのは、「議論を通じて最善解を探し、自分の意見の賛同者を増やしていく」という姿勢となります。
 

この2つの教育機関が伝統的にソクラテス・メソッドを採用しているのは、必然的であると言えるでしょう。
 

日本では明治時代以降、ひたすら上から与えられた「正解」を「暗記する」ことが、正しい勉強であると思われてきました。
 

そのため、大学の授業も(もっと言えば、小中高校の授業も)「王様と家来モデル」で運営されてきましたが、それに変化の兆しが出てきているのは、議論を通じて「いまの最善解」を探す必要性が、時代の要請として高まってきているからかもしれません。

 

 

出典「星海社新書:武器としての交渉思考(瀧本哲史)」